ゆとりは推しと酒に酔う

頑張らず記事を書くことを目標にしていた『ゆとりの「頑張りたくない」』、いつのまにか布教を頑張るヲタクブログになっていたので改名しました。

フェミニズムが苦手な私が『完全版 韓国・フェミニズム・日本』を読んだ雑感

こんにちは、オリヴィアです。

普段全く読書なんてしない私ですが、珍しく衝動にかられて1冊の本を購入しました

あまりに突発的な行動であったため、もう手元にあるのに読むか読むまいか往生際の悪い躊躇をしていましたが、「今読まないと一生読まないな」という私の正確な未来予測のもと、一晩で一気に読みきったので、その感想(というか雑感)を書きたいと思います。

フェミニズムへの苦手意識

『完全版 韓国・フェミニズム・日本』

今回私が今年初といってもいい「読書」をしたのは、河出書房新社『完全版 韓国・フェミニズム・日本』です。

完全版 韓国・フェミニズム・日本

完全版 韓国・フェミニズム・日本

 

何故この本を手にとったか、理由は2つあります。

・昨年からジワジワと韓国にハマり、単純に韓国文学に興味があったから。

・『82年生まれ、キム・ジヨン』の流行より『文芸2019年秋季号』も気になっていたけれど大人気すぎて手に入れられず、それが悔しくて完全版の文庫化に勢いで飛びついてしまったから。

 

今日本の本屋に立ち寄れば、真っ先に目につくこの表紙。

『82年生まれ、キム・ジヨン

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

 

私があえて説明するまでもないですが、女性が日常的に経験する差別や苦悩を描いた小説」として韓国でも日本でも大ヒット。このヒットをきっかけに、他の韓国文学も書店の目立つところに置かれるようになったようになり、韓国文学とフェミニズムの特集を組んだ『文藝2019年秋季号』は異例の重版となりました。まさに『キム・ジヨン』は韓国文学ブームの火付け役といえます(おそらく世の中に100個はあるような文章)

 

しかし、私はまだキム・ジヨンを読めていません。

なぜなら、この小説が紹介される際に必ずついてくるフェミニズム」が私にとってはなんだか苦手なものだったからです。

フェミニズムに対する苦手意識

女性差別を受けたことがない」というと、「あなたはまだ社会に出たことがないからだ」と返されるかもしれません。それはたしかにその通りで、24歳でゆるゆる学生をやっている私は、まだ「差別を実感しない」環境にしか身を置いたことがないのかもしれません。

また、ある人には「それはあなたが差別されていることに気づいていないだけだ」と返されるかもしれません。それもまたその通りで、世の中には女性が不快に感じて眉を顰めるコンテンツがたくさん放置されていて、だけども私は眉を顰め不快に感じる理由を深く考えないまま「そういうものなのだ」とスルーしてきたという現実があると思います。私は気づいていないだけで、知らぬ間に「女性」であることで傷つけられてきたのかもしれない。それはそうなのだと思います。

 

しかし、正直「差別されていることを知ろう!」「問題を意識しなければならない!」という潮流は、性別なんて身体の構造の違いでしかない(誰も自分の性に確信が持てない)と考えている私を、無理やり「女」というカテゴリにはめこみ、ジェンダーとの対峙を求めてきているように感じて負担でした。

また、女性はこれだけ差別されてきたんだ」と男性を責め立てるような自称フェミニストの論調には、「男」というカテゴリを対象に批判するのは結局同じことをしてるんじゃないの?と思っていたし、フェミニズムを枕詞に繰り広げられるTwitter上のバトルを見て「知識がないのにフェミニズムを語るべきではないな」と萎縮し、フェミニズムについて触れること・学ぶこと・言及することを避けるようになっていました。
(単に自分の健康状態が良くなく、世の事象に"怒る"ことに疲れていたというのもあると思います。) 

 

しかし、何事も「さわり」だけでも触れてみることに意味があるのではないか?という、ときどき訪れる謎のスーパーポジティブシンキングゾーンに入った私は、Twitterで発刊のお知らせを見た勢いのまま、Amazonの<1クリックで購入>をタップしていました(要はノリで購入しました)(そして届いた本を前に、記事冒頭の往生際の悪い躊躇に至る)

 

はじめての韓国文学

まず本を開いて巻頭言を読み終えると、4つの韓国文学小説が掲載されています。

1番最初に掲載されているのは『82年生まれ、キム・ジヨン』の作者、チョ・ナムジュ先生の短編『家出』。これは文藝秋季号にも掲載されていたもので、残りの3篇は単行本化のために新たに収録されたものだそうです。

 

 記憶にある限りは初めて読む韓国文学フェミニズムというテーマを最初から与えられていたからなのか、上手く文章が作られているのからなのか、どのような展開になるんだろうというドキドキ感を残しつつも、キチンと「気づき」のヒントが丁寧に用意されていて、4つの作品とも1度もページを遡ることなくスラーっと読むことができました。

なんて言ってますが、全く小説を読む方ではないので批評はできません(笑)

 

ただ、単純に「面白かった」「好きだ」という印象を語るならば、「家出」と「クンの旅」がお気に入りでしょうか。

ネタバレをしない文章を書く自信がないので内容には触れませんが、「家出」は人の言動描写によって"現実"を表現するのがとても上手で、かつ映画のカット割が想像できるような情景描写があったりして…普段読書をしないせいで感想を述べる言葉すら持ち合わせていないのですが、読みやすくて好きだなぁと思いました。

そして、「クンの旅」。こちらはちょっとSFチックな世界観から入るので、SF苦手な私からすると最初はンンン?って感じだったのですが、クンの正体について予想をたてた序盤、ちょっと自信がなくなってくる中盤、ほぉ…と声を漏らした終盤と、見事にストーリーに引き込まれました。

私だけかもしれませんが、「クンの正体は何か、400字で説明せよ」なんて問題が記述模試で出たら、模試後解答に「これは違うでしょ〜!!」なんて悪態ついてただろうなぁ思うほど、クンの正体は明らかなんですが言葉で説明するのは難しいと感じました(例が特殊すぎる)(よく全◯模試の解答に悪態をついていた)

 

他2作も読みやすさは日本の易しめな現代小説と同じくらいで、内容に胸がキュッとなって苦しんだりもしながら非常に楽しみました。ただ、これら4つの作品が韓国文学のスタンダードというわけではないようです。

対談で学ぶ韓国文学とフェミニズム

本書には責任編集者である斎藤真理子先生(韓国語翻訳家)と鴻巣友季子先生(英語翻訳家)の対談が掲載されています。

そのタイトルは「世界文学の中の隣人」

日本文学と韓国文学と沿革(発展)にはじまり、現在の韓国文学界で勢いを持っている『82年生まれ〜』の位置づけ、なぜ『82年生まれ〜』は韓国と日本の両方でヒットしたかなど…隣人である日本と韓国の歴史・現状を分析する、私みたいな無知の人間には非常にタメになる対談です!というか、私のような無知ゆえにフェミニズムに萎縮している、普段読書をしないから韓国文学になんて手を出せないと思っている人が読むべき対談というか。

大きな物語」の韓国文学

私が法学部出身だからでしょうか?対談を読むと、韓国文学を綴るペンは剣として発展してきた部分が大きいのだなと思いました。

韓国は日本とは違って"詩"が発展していて、それは軍事政権下で表現の自由が十分に保障されていないなか、"詩"という抽象的な表現方法を用いるしかなかったからというのは聞きかじったことがある話。なので、韓国文学界が社会や歴史性をテーマとする「大きな物語」を1度も崩したことがないというのは、驚きもありつつ納得もする分析でした。

もちろん日本の小説も社会に対して問題提起をしているわけですが、私が読んだことがあるレベルの有名な小説だと、自分の中の矛盾した感情や鬱屈した気持ちがテーマになっていることが多いように思います(社会というよりは個に着目した物語というか)。

『82年生まれ、キム・ジヨン』は、キム・ジヨンという1人の女性(個人)の視点で進んでいく小説ではありますが、社会の中で気づいたら存在した差別や苦しみをテーマとしていて、やはり捉えるものは社会らしいのです(読んでないから"らしい"しか言えない)。

この「大きな物語」という部分は、私がまだ知らない韓国文学のスタンダードといっていいのかなと思いました。

フェミニズムと男性

対談の中のテーマで目をひいたのは「男たちも疲弊している」という部分。

『82年生まれ、キム・ジヨン』が韓国で大ヒットする中で生まれたのは、アンチ『キム・ジヨン』の存在。大人気女性アイドルRed Velvetのアイリーンがおすすめの1冊としてオススメし、アイリーンの写真を燃やすなどの過激なアンチが生まれたのは有名な話。

日本でもそうですが、フェミニズムが活発なるほど「女性」対「男性」の構図になっていくのは何故なのでしょうか。

僕らの世代は男が優遇されているなんて全く感じない

www.nikkei.com

この記事に登場する若い韓国人男性は、なぜ若い男性がキム・ジヨンを嫌うのかという質問に対して

「80年代生まれならともかく、僕らの世代は男が優遇されているなんて全く感じない。むしろ逆じゃないかといいたい」

と即答したらしいのです。

 

韓国文化に触れる上で薄々気がついていたことですが、韓国では男性に"のみ"兵役が課せられるため、これを原因とする男女間の隔たりがかなりあるように思います。

ソースとなる動画は削除されてしまったのか見つけることが出来ませんでしたが、以前「男性は軍隊に行くのだから、女性は月経や出産の痛みを負うんだ」という趣旨の動画をYouTubeで見たことがあります。

日本人の私には「軍隊」と「月経・出産」を同列に並べることに違和感しか覚えなかったのですが、韓国においては入隊が義務で避けられないものである以上、同じく「性別」に起因する避けられないものとして「月経・出産」を持ち出してくるという発想なのかもしれません。

 

他にも兵役までとはいかずとも、男性には「男性であること」を理由として求められていることが沢山あります。些細なことだと、食事は男性が払うべきとか、身長は男性が高くあるべきとか…ここらへんは日本と似ていますね。

フェミニズムは男性を否定する文化か

こんなこといったら「無知なくせに!」とどこからともなく叱られそうですが…

結論からいって私が思う"今"のフェミニズムは、"性別"に起因する差別・偏見・搾取をなくそうといった大きな概念なのでは?と思いました。

フェミニズムという言葉、そしてこの言葉が出来た当初は女性の社会的地位の向上が目標であったことから、フェミニズムは女性の味方という考えに至りそうですが、そもそもは「女性であること」を理由とした社会的に不当な取り扱いをを無くすことが目的であったはず。そうだとすると、その視点を少し広げて「性別」を理由とする社会的に不当な取り扱いを無くすことを目的としても、趣旨からは外れないのでは?というのが私の考えです。

韓国と日本のフェミニズム

『82年生まれ、キム・ジヨン』というフェミニズム作品が流行したことで、「韓国のフェミニズム文化は進んでいて羨ましい」といった声をよく目にします。

このことについては、本書を読んでも他の記事を読んでも「韓国が進んでいる部分もあれば、そうでもない部分もある」というのが正直なところではないでしょうか。

nenuphar.hatenablog.com

 

まとめ(ない)

というわけで、つらつらと『完全版 韓国・フェミニズム・日本』を読んだ雑感を書き連ねてみたわけですが、全体的な感想としてはこの本を手にとったときに抱いていた期待は達成されたなということ。

韓国文学をもっと読みたいという欲はもっと強いものになったし、その欲をどうやって満たせばいいのか?の道しるべもこの本にある(現代K文学マップ、厳選ブックガイド、斎藤氏のブックリスト)

フェミニズムについては、なんとなく「知らないのに語るべきでない」という萎縮がなくなったように思える(とはいえ攻撃はこわいのでやめて)

この本を読んだ今の私の考えは上述した通りだけど、今後時間をおいて読み直したときには違う考えになるかもしれないし、他の文献にふれて考え方が根本から変わるかもしれない。「考え方」に完成形はないと思っているからこそ、考えが揺らぐことをおそれず、色んな作品に触れて、感想などを書いてみたりして、その都度わたしのフェミニズムがアップデートされればいいなと思いました。読書は好きじゃないけど、時間作って読まなきゃね。

 

それでは、このへんで。

あんにょん。